・しんちゃんの映画を見てきました。
・結論を言うと、すごかったけど……という感じ。
・今回の映画の目玉である3Dは、最初こそ違和感がありましたが、途中からは慣れました。
・むしろ3Dである分、アクションシーンの動きはいつにも増してアクティブだった印象です。
・今回のストーリーを公式サイトから引用すると……
ノストラダムスの隣町に住むヌスットラダマスはある予言を残していた。
出典:『しん次元!クレヨンしんちゃんTHE MOVIE 超能力大決戦 〜とべとべ手巻き寿司〜』公式サイト (https://www.shinchan-movie.com/)
「20と23が並ぶ年に天から二つの光が降るであろう。一つは暗黒の光、もう一つは小さな白い光…やがて暗黒の光は強大な力を持ち、平和をごっつ乱し、世界にめっちゃ混乱を招くことになるんやでえ」
そして2023年、宇宙から二つの光が接近。夕飯を待ちわびるしんのすけに白い光が命中する。体にみなぎる不思議なパワー。「お尻が…お尻がアツいゾ…」力を込めるとおもちゃがフワフワと宙に浮いた!エスパーしんのすけ誕生の瞬間である。
一方、黒い光を浴び、暗黒のエスパーとなった男の名は非理谷 充。バイトは上手くいかず、推しのアイドルは結婚、さらには暴行犯に間違われ警察に追われていた彼は、力を手に入れたことでこの世界への復讐を誓う。
世界の破滅を望む非理谷 VS しんのすけ。
“すべてが、しん次元”なちょー超能力大決戦が今、幕を開ける!
この夏、絶望に立ち向かうしんのすけの放つ光に、胸と尻がアツくなる──
・いや、文面で見るとこうなのだけど、実際はもっとしんどかった。
・今回のもう一人の主人公である非理谷 充は、最初はタダの嫌な奴だと思った。助けようとしたひろしに逆ギレするし、ヒロシの焼き鳥を勝手に食べるし、警察や他人を突飛ばしたりしてるし。
・でも、ストーリーの後半で非理谷 充の人生が語られると、「そりゃこうなるよ……」という感じがした。非理谷 充の行動が変わったわけじゃないのに。
・今回のストーリーは全体的に現代に関する風刺が強かった。「この国の未来は暗い」という単語が何回も出てくる。そして、それに絶望した若い人を集め「令和てんぷく団」が結成されている(れいわ新撰組のオマージュだと個人的に解釈している。絶望した若い人を集めている点を含めて)。
・そして、非理谷 充の人生を見て観客の意見が変わるところまで風刺なのではないか。ある一面だけを見て全てをわかったような顔をしていないか。何回も手のひら返しをしていないか。そういう風刺に感じた。
・「ひろしが妬まれる側に変わった」という意見を散見したけれども、ちょっと違う気がしてる。
・たしかにひろしは今の平均よりすごいのかもしれない。係長だし、子ども2人に専業主婦の妻と犬を養っている。マイカーとマイホームを持っているし、ローンだってちゃんと返し続けている。
・でも、妬もうと思えば、絶望しようと思えば、ひろしが凄くなくてもいくらでもできるのだ。周りでスマホを見ている人だって幸せそうにしてるウザいやつらだ。ハードワーカーな幼稚園の先生にだって「子どもに綺麗事ばかり教えやがって」とキレることはできる。
・この問題への解決策は「がんばれ」だ。映画内ではそうやって話が終わる。
・「がんばれ」という単語には悪いイメージがある。どこか人任せというか。
・でも、それでも頑張るしかないのだとも映画を見て思った。お先真っ暗だとしても、周りと比べて劣っているとしても、それでも頑張るしかない。
・一応言っておくと、頑張るためには「仲間」が必要という補足もあった。家族でも友達でもいい。自分の幸せを願ってくれるような仲間がいて、初めて頑張れるし、お先真っ暗な未来でも絶望しないで済む。
・学校に行くのも会社に行くのもアイドルを推すのだって、頑張らないとできないのだ。
・あえてこの映画に批判をするなら、しんちゃんが都合よく動きすぎな気がした。映画のしんちゃんは普段から5歳児離れしているのだけれど、身体能力うんぬんではなく、ストーリーを作る上で動かしやすいキャラになってしまっている気がした。
・例えば、しんちゃんは非理谷 充のことを仲間だと表現した。仲間という言葉は知っているとは思うのだけれど、なぜ仲間なのか理由が薄い気がした。非理谷 充が仲間ならどんな人でも仲間になってしまうのではと思った。
・総じると、映画としては面白いが、しんちゃん映画としては少しモヤっとするものだった。
・来年は恐竜を主軸に置いた映画らしい。ドラえもんは恐竜のイメージがあるけど、しんちゃんは恐竜のイメージが少ないから楽しみ。
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