多発性硬化症(MS)と聞くと、進行性の神経疾患で「歩けなくなる病気」といったイメージを持つ方が多いかもしれません。実際、MSの代表的な症状は下肢の運動機能障害であり、歩行能力の低下は患者の生活の質(QoL)と密接に関係しています。
そんな中、「ただ外で歩くだけ」でMS患者の身体能力とメンタルの両方が劇的に改善したという、驚くべきランダム化比較試験(RCT)の結果が発表されました。
しかもこの研究、単なる“お散歩療法”ではありません。科学的な運動処方に基づいた、戦略的なウォーキングプログラムなのです。
歩いて健康になるだけじゃない、“脳まで変わる”歩行セラピー
2024年に発表されたデンマークのRCT(R)では、62名のMS患者を対象に、7週間のパーソナライズされた屋外ウォーキングセラピーを実施しました。結果として、
- 6分間歩行距離が +41m 改善(臨床的に有意)
- 主観的な疲労感(MFIS)や転倒への不安(FES-I)が大幅に減少
- 精神的な幸福度(WHO-5スコア)も +7.3点 上昇
と、まさに「身体と心のリハビリ」効果が同時に現れました。
特に興味深いのは、客観的な歩行中の疲労(fatigability)は変わらなかったのに、主観的には「疲れにくくなった」と感じていたという点。
これはつまり、運動の結果として「体力がついた」というより、脳の疲労感の閾値が変化した、あるいは「動くことへの恐怖感やストレスが減った」と考えられます。科学的にはこれを「主観的疲労(mental fatigue)の改善」と呼び、慢性疾患において非常に重要なファクターです。
成功の鍵は「自然」「個別化」「グループ効果」
この研究のウォーキング・プログラムは、運動生理学で広く使われているFITT-VP原則に則って設計されています。
- Frequency(頻度)= 週2回(連続+インターバル)
- Intensity(強度)= ややきつい〜かなりきつい(BORGスケール13〜16)
- Time(時間)= 最大40分
- Type(タイプ)= 屋外での不整地歩行(坂道含む)
- Volume(量)= 個人の体力レベルに応じて調整
- Progression(進行)= 週ごとに距離・強度を漸進的に増加
特に注目すべきは、自然環境(森や砂利道など)での実施と、グループ形式での参加です。
過去の研究でも、自然の中で運動すると以下のような効果が示されています。
- ストレスホルモンの減少(例:コルチゾール)
- うつ症状や不安感の軽減
- 自己効力感の向上
- 神経可塑性の活性化(脳の再配線)
加えて、他者と一緒に歩くという“社会的運動”の側面も心理的なモチベーション維持に貢献していたと考えられます。
実際、研究参加者からは「気持ちが前向きになった」「継続が苦じゃなかった」というフィードバックもあり、これは行動変容の観点からも非常に価値ある成果です。
「歩く」ことが持つ医療的価値を見直そう
私自身も週末は近所の緑道を40分ほど歩くようにしていますが、運動後の気分の軽さや集中力の高さは、ジムでの筋トレとはまったく異なる質の体験です。
今回の研究を見て改めて感じたのは、“ただ歩く”ことの科学的価値の大きさ。
以下に、今回の研究から得られた実践的なヒントをまとめておきます。
- できれば屋外、できれば自然の中で歩く
- 週2回、1回30〜40分を目安に(ややキツいと感じる強度で)
- 不整地や坂道も取り入れ、刺激に変化をつける
- 可能なら誰かと一緒に(グループ効果)
- 自分の状態を記録(歩数、距離、気分など)して継続モチベーションに
歩くことは、ただの移動手段ではありません。神経系、筋骨格系、心理系すべてにポジティブな刺激を与える、最も手軽で、最も総合的な“セルフケア”です。
今回の研究のように、個別化・自然・社会性という要素を組み合わせれば、さらにその効果は高まります。
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